正露丸の戯言

ほげ~~~

【卒業式のちょっといい話】ただ生きてるだけでも悪くない。そんなお話。

こんにちは。正露丸です。

 

 3月にもなり、卒業シーズンとなりました。卒業式には長い間お世話になった校舎に思いを馳せたり、仲良しの友達との別れに泣いたり、とくに思い入れのない人は4月からの新しい環境にワクワクしていると思います。

 そこで今回は僕が卒業式で体験した、卒業式あるあるとは少し違う「生きてて良かったな」と思えたエピソードを紹介したいと思います。大して長くないので見て行ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正露丸君、ゆみこ先生(仮名)って覚えてる?」

 

 高校の卒業式の夜、そんなメッセージが僕のスマホの画面を明るく照らした。相手は、1年生の頃から同じクラスだったが、ほとんど話をしたことがない同級生の亜美(あみ)(仮名)だった。

 ゆみこ先生というのは、僕が小1から小3まで通っていた児童館の先生である。やんちゃ坊主だった僕がよくダル絡みをしていた女の先生だ。当時28歳で、すごくきれいで高身長の細身の先生だった。当時先生には3歳と5歳の二人の子どもがいて、その子どもがよく児童館に遊びに来ていて僕自身も一緒に遊んでいた記憶がある。懐かしい。

 だが、僕は亜美とは自分の身の上話どころか雑談すらしたことがない。ちょっとした調べ学習や班活動などで話さなければならなかったので仕方なく話していた程度の関係だ。

 なのにどうして今、しかも卒業式の夜というもう二度と会わないこのタイミングでそんな話をしてきたのだろう。そもそもなぜ彼女がゆみこ先生を知っているのだろうか。

 しかもこういう時に聞く質問は「ゆみこ先生って知ってる?」というのが定石ではないのだろうか。「ゆみこ先生って覚えてる?」と聞くということは、向こうは僕がゆみこ先生のことを知っているという認識をしているのである。

 気になることがあまりにも多すぎるので1分も経たず返信した。

 

 「ゆみこ先生って児童館の先生でしょ?覚えてるよ。でもどうして亜美ちゃんがそのこと知っているの?」

 

 そう返信した。すると、彼女から衝撃的な返事が来た。

 

 

 

 

 

 

 「ゆみこ先生ね、私の今のお母さんなの。」

 

 「えええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」

 

 これ以外返す言葉が見つからなかった。衝撃的すぎて全く状況が整理できていない。

 意味が分からなかった。当時連れていた子どもは年下で、同級生の子どもはいなかった。変な冗談でも言っていると思ったが、彼女とはそんなことを言い合う間柄ではない。では一体どういうことなのか。ちょっと考えればそんなことはすぐ分かるのだが、気が動転していた僕は答えを出せなかった。

 そんなことを考えている内に、亜美から返信が来た。

 

 「卒業式の時ね、お母さん来てたの。最後のホームルームの時に親も全員教室に入ったでしょ?その時にお母さんが正露丸君だって気づいたんだ。全然変わってないって言ってた。」

 

 全て合点が行った。わざわざ卒業式の夜にこんなことを言ってきたのは、卒業式の夜にしか言えなかったのだ。ゆみこ先生が初めて僕を目にしたのが卒業式の最後のホームルームで、僕の話をしたのが卒業式終わってからなのだろう。

 ホームルームでは人前に出て1人ずつ短いスピーチをしていたので、嫌でも僕のことを認識できたのだろう。同級生の親を一人一人見てうるわけではないし、クラスメイトの親にお世話になった児童館の先生がいるなんて思ってもいなかったので僕自身は気づくこともできなかった。

 続けてメッセージと共に写真が送られてきた。

 

「お母さんが見せてくれたんだ。これ、小学生の頃の正露丸君でしょ?ちょっと太っただけで本当に今とあんまり変わってないね(笑)」

 

 児童館の頃に撮った集合写真だった。僕とゆみこ先生が隣同士で写っている。すごく懐かしいと思ったのと同時に、もう10年近く経っている写真を今でも持っていたのかと思うとびっくりした。太ったのは仕方ない。こちらの怠惰の積み重ねだからだ。

 

「うわ!!めっちゃ懐かしい!!!!!よく今までそんな写真持ってたね!!!」

 

そう返した。数分経った後、彼女から生きていて良かったと思える返信が来た。

 

 

 

「私ね、ずっとお母さんのことが嫌いで、再婚してからずっと無視してきたし母親面すんなって思ってた。でもね、今日正露丸君のことで初めてお母さんと話してそのことで盛り上がって少しだけ距離が縮まった。ありがとね。」

 

 

 

 いつ再婚したのか、当時いた二人の子どもはどうなったのか、ゆみこ先生は今でも児童館の先生を続けているのか、様々な疑問や聞きたいことが脳裏に過ったが、聞くのをやめた。僕がただ生きていた、僕がただそこにいた、たったそれだけで一組の親子関係を前進させ、感謝までされたのだ。それだけで充分である。

 何より、ほとんど話したことない同級生にそこまで踏み込むことができない。

 高校生になるまでに僕が死んでいたら、この親子は高校を卒業してもずっと不仲のままで距離が縮まることはなかったのかもしれない。それだけで僕が生きている理由や価値があるのではないか。

 これが、僕が体験した生きててよかったエピソードである。

 これ以降、亜美とのやりとりは一切していないし、その後の亜美とゆみこ先生との親子仲が良くなったのかすらも全く分からない。だが、僕自身が家族仲を深める足掛かりになったという事実は確実にある。

 特に思い入れも感動もなかった高校の卒業式、終わった後に思い出ができるとは思わなかった。

 まだ桜の咲かない北海道の春。排水溝へと流れていく雪解け水が春の知らせを告げていた。

 

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